清水次郎長 本名山本長五郎文政三年元旦清水市美濃輪に生る、同町叔父山本次郎八の養子となる。同輩の中に「長」なる者あり人彼を呼び次郎長と云う。長ずるに及び遊侠の群に投ず。仁侠の名天下に喧伝される。明治維新と共に伏谷判事下知の下に駿遠三の三ヶ州治安維持に当る。咸臨丸殉難者の為「壮士の墓」を建て、清水港開港に尽力す、又英語教師を招いて青年に英語を教え晩年は開墾事業に没頭し三保・日本平・富士裾野大開墾など幾多の社会公益の為に尽す。 山岡鉄舟、榎本武揚など当時大臣顕官と交際あり。明治二十六年六月十二日七十四才をもって天寿を全うす。(以上、周知板より引用) |