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日本四景

No.10 〜お墓・編〜

サムネイル お墓名

(発見場所住所)
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天下の号外屋翁の墓の画像

 1.天下の号外屋翁の墓

 (北海道函館市)
悪夢を見ているような真っ赤な墓の...
 主(?)である信濃助治は、明治27年6月、衣類・コート・帽子・足袋のはてまで赤ずくめで来函した。同年11月、日清戦争の頃、彼は北海新聞の号外を函館市民にまいて”天下の号外屋”と称して売り出し、「赤服」と呼ばれていた。「赤心」(いつわりの無い心)は日本武道の精髄を表すとして、すべて赤色を用いたとのことである。(以上、周知板より引用)
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風車の弥七の墓の画像

 2.風車の弥七の墓

 (茨城県常陸大宮市)
水戸黄門ゆかりの里...
 の一つとして平成12年5月に選定された、ここ風車の弥七の墓「風車の弥七」は、「松之草村小八兵衛」という実在したすぐれた忍者がモデルになっており、墓はここにある。(以上、周知板より引用)
 常不軽菩薩像のそばに建つ弥七の墓は、周囲に飾られている「風車」と共に悠久の時を刻んでいるように感じました。
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近藤勇の首塚の画像

 3.近藤勇の首塚

 (愛知県岡崎市)
幕末に新撰組局長...
 として倒幕派から恐れられていた近藤勇は、慶応4年(明治元年)4月25日、35才で東京都の板橋刑場で斬首されました。その勇の首は処刑後、京都に送られ三条大橋の西に晒されましたが、同志が密かに持ち出し、生前敬慕していた和尚様に埋葬を依頼しました。その後、和尚は法蔵寺(愛知県岡崎市)に転任され、その敷地内に勇の首を埋葬しました。
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キリストの墓の画像

 4.キリストの墓

 (青森県新郷村)
あ〜な〜た〜は神を信じますか?
 昭和10年、茨城県の磯原市(現北茨城市)から訪れた武内巨麿氏により、武内家の古文書をもとに発見されました。
 古文書によると、ゴルゴダの丘で磔刑に処されたのは弟のイスキリであり、キリスト本人は日本に渡り、ここ新郷で106才の天寿を全うしたというのです。(以上、新郷村の周知板より引用、抜粋)
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■その他の”撮影済み”お墓・リスト

◇坂本龍馬家の墓 (北海道浦臼町)
八甲田山雪中行軍遭難隊士の墓 (青森県青森市)
◇イスキリの墓 (青森県平取町)
◇白虎隊士の墓 (福島県会津若松市)
◇佐々宗淳/水戸黄門でおなじみの助さんの墓 (茨城県常陸太田市)
◇安積覚/水戸黄門でおなじみの格さんの墓 (茨城県水戸市)
◇藤田東湖の墓 (茨城県水戸市)
◇那須与一の墓 (栃木県大田原市)
国定忠治の墓 (群馬県伊勢崎市)
横浜外人墓地 (神奈川県横浜市)
◇清水次郎長の墓 (静岡県静岡市)

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