間宮林蔵ここに眠る
 19世紀初頭の北方探検家・地理学者の間宮林蔵は、安永9年(1780)常陸国筑波郡上平柳村み生まれ、天保15年(1844)波乱に満ちた65歳の生涯を終え、ここに眠っています。
 林蔵は、当専称寺の住職伯栄和尚に学び、その才能を発揮、小貝川の堰止め工事で認められたといわれ、江戸に出て行きました。
 ここは幼い頃の林蔵の勉学の場であり、遊びの場でもありました。
 昭和30年(1955)墓は茨城県の史跡に指定されました。
 郷土の偉人「間宮林蔵」顕彰のため、子孫伊奈間宮家・専称寺の協力を得て、この墓所を保存、公開しています。

間宮林蔵の墓
 この墓は、文化4年(1807)決死の覚悟で樺太探検に出発するにあたり、林蔵自ら建立した生前の墓です。偉大な事業を成し遂げる前の、身分の低い武士に合った百姓並みの墓です。(以上、周知板より引用)