箱舘戦争官軍上陸の状況
 蝦夷地奪回の火ぶたを切ることになった官軍の乙部上陸は、明治二年四月九日午前十時頃、この地に開始された。
 これより先、明治元年(1869)軍艦開陽など八隻を率いて品川沖を脱走した榎本軍は、同年十月二十日鷲ノ木(森町)に上陸し、五稜郭、松前城、舘城(厚沢部町)を陥落させ十二月十五日に蝦夷島政権(共和国)を成立させていた。乙部への上陸は、この戦に敗れた官軍側が、青森に集結し新政府からの軍艦の入港をまち、たて直しの下に四月六日第一陣約千四百の兵を各輸送船に乗りこませ、甲鉄以下七艦がこれを護衛、青森を出航、平舘(青森県津軽軍)に停泊、八日同所を発し松前、江差の沖を通過し、乙部の海上には九日早朝に到着、陸地から約1キロメートルまで乗り入れ様子をうかがったのである。(中略)
 こうして乙部に上陸した官軍は、厚沢部、松前方面の街道沿に進撃し、五月十七日遂に五稜郭を奪回、ここに函館戦争は終結した。
 同年八月十五日蝦夷地は北海道と改められ、北海道開拓の新しい歴史を告げたのである。(以上、周知板より引用、抜粋)