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780年余も前 義経は常陸坊念西から多数の食料と軍船を得て寿都に回漕させた。弁慶は毎日岬に出てその到着を待った。
爾来この地を弁慶岬という。北海道伝説集
(以上、周知板より引用)
文治五年(1189年)奥州衣川で難を逃れた義経主従は南部津軽を経て渡道し、この地でアイヌの人達と共に生活し、義経再挙の兵を募って蝦夷地に向かう常陸坊海尊を待った。
滞在中弁慶は毎日毎日岬の先端に立ってその到着を待ちわびたが、遂に軍団の船影を観ることができず大望ある身の永く止まるべきにあらずと、主従を慕う人達と別れを惜しみつつ雷電を目指して去ったと伝えられる。
(以上、周知板より引用) |